私は父が創業した材木店の2代目としてこの会社を継ぎました。
高校卒業後、建築とは全く無関係の公務員として5年間横浜で暮らしていたのですが、父の事情で、急遽仕事を継いでくれ
ということで地元に帰ってきました。
当時の建築会社は、まだ職人がすべての世界でした。尺寸法が標準で、正直馴れるま
でには苦労しました。仕事も、山から木を切り出すことからはじまりました。それを自分たちで製材して、柱や造作材などにしていく。
節の無い、良い柱や、目の通った木材は、和室の造作材などに使い、いまからすると、驚くほど高価な価格で取引されていました。
建材は、このころは、まだ開発されたばかりでしたので、種類も少なく、むしろ無垢材より高価でした。ですから、坪30万円もだせば、天然素材を惜しげも無く使った、高級和風住宅がつくれました。
当時、商売はかなり忙しく、又、将来財産になると信じて、山林の手入れなどもあり、両親ともに休みもなく働いていたので、家族で旅行や、父親と遊んだりした思い出などはほとんどありません。それも当時は仕方のないことだったと思います。
小学校のときに家を建替えました。家が完成するまで、家族6人で隣接する20坪の作業小屋で仮住まいをしました。10畳の部屋があり、あとは2部屋。リビング代わりの10畳に自然と6人一緒にいるようになります。狭い空間なのに、いつもほっとする仮住まい生活でした。
だから今でも、豪華さや大きさや間取りが大切ではなく、家族との大事な時間を楽しく快適に暮らせる「居心地の良い空間」にこだわっています。
お客さんが「木の香りの温かい家を、理想と予算を大切に、叶えてくれました!」と、
“笑顔”になることが、わたしの喜びです。
そのために、「自分達で迷いなく決断できました」と言われるように心がけていきます。
株式会社 山六木材 代表取締役社長
小林 誠